TAMALOG

プログラミングがあれば遠いところへ行けます。プログラムと人の共生を記録します。

悲しみをここに記しました

「知の編集術」を読んだ

松岡正剛さんの「知の編集術」を読みおわった。なかなかに良い本だった。僕は情報の編集に興味をもって読み始めたけれど、編集というものがこんなにも奥が深いものだとは思いもしませんでした。編集というものをよくここまで整理したなぁと強く感心しています。ここに書かれた編集術を身につけるには、とても時間がかかるだろうなと感じました。

素直さの喪失

後輩と話したときに、彼がブログを書いていることを知りました。URLも教えてもらった。いざ記事を読んでみたら、とても素直な文章で気持ちが綴られていて、それを読んでいろいろと思うところがありました。

7年前、僕が大切にしていた素直さは、いかにうまく生きるかという強迫観念によってすり減らされてしまいました。今では、論理の鎧を携えて、自分の中に閉じこもり、高みの見物を決め込んでいます。今思えば、当時は背伸びに没頭していました。背伸びをするあまり、落とした大切な物に気づかなかったのかもしれません。

指摘されてショックだった「裏で何を考えているのか」

「裏で何を考えているのか、わからない。」これは、二人の知り合いから酒の席で指摘されたことです。僕が卓球をやっていたころにも、先輩から「お前の言葉は薄っぺらい」「本気で思っていないだろー」と冗談交じりに指摘されたことを、思い起こしました。

二人のうち一人からは、「褒められても、何か裏で考えている気がする」と言われました。僕が彼を褒めたときに感じた違和感はこれだったようです。僕は他人を頻繁に褒めます。それは、気持ちは相手に直接的に伝えないと伝わらないと感じているから。僕の言葉の繰り出し方などの相性が悪かったんでしょうか。僕としては、もっとお互いを「すごい」と認めて褒めあえばいいと思うのに。

こんな指摘をされて、僕は嬉しく感じている面があります。もちろん悲しみもありますが、この指摘;客観的指摘によって、また自分が気付けたからです。指摘なんて普通誰もしてくれません。大人なら尚更。指摘したことで、仲が悪くなる可能性だってあるんですから。

ただ、この指摘を受けて、直すのか直さないのかはまだ結論がでていません。本当は彼らともう一度話がしたいです。