TAMALOG

プログラミングがあれば遠いところへ行けます。プログラムと人の共生を記録します。

最近はウィトゲンシュタインを読んでいます。

昔から、興味をもっていたウィトゲンシュタイン哲学を勉強しています。野矢さんの『論理哲学論考*1も買いました。

情報工学を学ぶものとして、哲学やっていていいのかという指摘は聞かないことにします。

今時の教科書には、ウィトゲンシュタインの提唱した『言語ゲーム』という言葉が載っていると聞きました。あとで文科省の要覧をのぞいてみたいと思います。

この「言語ゲーム」という言葉ですが、「規則への従い方」と「規則」というのが出てきます。「規則への従い方」は生活様式などとも書かれるのですが、このアイデアが身体性の議論と似ているような気がしてなりません。ライオンが完璧な日本語でしゃべったとしても、その言葉は理解できないというのです。これは「規則への従い方」が人間とライオンで大きく異なるからだというらしいのです。一方で、「規則の従い方」が同じであれば「規則」が異なっても理解できるといいます。外国人との交流を思い浮かべればなんとなくわかりますね。

この例から考えると、ロボットの言葉というのはどうなっていくんでしょう。「言葉が世界を作っている」と誰かが言った言葉が正しいならば、ロボットが言葉を手に入れたそのときに、「ロボットの世界」が生まれるのでしょうか。

これは乱文ですから、もう少し理解が進むと違うように感じるのかもしれません。最近は、ちょくちょく見かける認識論の話に思考が持っていかれがちです。