Macで使える便利なキーボードショートカット
テキスト編集中で使えるショートカットを示しておきます。
これを覚えると小指が痛くなります(笑)が、カーソルキーが遠く感じるようになると思います。カーソルキーは普段右手の仕事ですが、下に示したショートカットを使うと左手(小指)が仕事をするようになります。
便利な移動系ショートカット
コマンド | カーソル |
---|---|
control+A | 行頭へ移動 |
control+E | 行末へ移動 |
control+N | 上の行へ移動 |
control+P | 下の行へ移動 |
control+F | 右に移動 |
control+B | 左に移動 |
便利なテキスト編集系ショートカット
コマンド | カーソル |
---|---|
control+H | 左の文字削除 |
control+D | 右の文字削除 |
control+M | 改行 |
最後に
この手続きを採用するときは、環境設定のキーボードから修飾キーの配置を変更しておくと便利です。僕はいつもcaps lockをcontrolに割り当てています。
ノウハウ本の寒さ
年度末の金曜日。学生は大学の学業が一段落しているころですね。
「私は悲しいです。どうしてそう思ったか教えてもらえませんか?」というフレーズに白々しさを感じませんか?
このフレーズは、後輩と読んでいた本に載っていたものです。その本は、少し前に流行った「アドラー流」を売りにした本でした。「ロボットみたいですね」と後輩から感想をもらって大いに同意しました。
「遅くなると、次の人の作業にも影響がでてしまうからね」
こんなフレーズも載っていました。なんとなく白々しさを感じて寒いセリフだなと感じてしまうのは僕だけでしょうか。この本のフレーズは現実離れしていると批判したいわけではありません。ただ、なんでこの白々しさを感じるのかなと疑問に思っています。
まるで下手な小説のようなフレーズにも思えてきます。目の前の相手が、あまりにも多様すぎて(一般化しすぎて)相手に依存しないフレーズになってしまっているような気がします。言葉というものが決して一般的なものではなく、相手との関わりから出来上がっていくことをここで目の当たりにしたような感覚を覚えました。
コミケ(C89)に行きました
サークル参加(出展者)してきました。コミケは3日間あって、29日から31日にかけて開催されました。僕が出展したのは、3日目の31日木曜日です。
コミケに一般参加者として初参加したときに、コミケの虜になりました。僕はコミケが好きです!その魅力は、「自由さ」。頒布している作品がとても幅広い。都内のおいしいラーメン屋をまとめた冊子、身近な文房具を擬人化した冊子、とある作品のファンブック、オリジナル漫画、オリジナルアニメ、自作アクセサリー、育児体験記など様々です。
言い換えれば、「雑多」という表現されそうなその自由さがいい。利益を追い求めないがゆえに、いろんなアイデアがコミケに集まってくることも魅力一つです。金銭のやりとり以上に、交流を大切にしているイベントだと思います。もちろん、スケジュールを組んで自分のほしいものを集める方もいますが、僕はゆっくりとコミケを見て回ったり、気になった作品をサークルの方とお話しながら楽しみたい派です。
人がこんなに集まるってすごい
C89でサークル出展して、「なんでこんなに人が集まるんだろう」と不思議に思っていました。
大手のサークルでは、とんでもない長さの行列ができます。そのサークルに人がたくさん集まっているわけです。でも、そういう大手のサークルでは、コミケと同時にある店舗に委託販売をするところも多いです。そこだけに焦点を当ててみれば、交通費もかかるコミケに行く意味はあまりないと考えられます。
ライブ感
じゃあ、「委託をする大きいサークル」以外も十分にコミケを担っているんだろうなと想像しました。まず、たくさんの人がその場にいるライブ感が一つ要因だと思います。お祭りと表現できます。
できるなら静かに買い物をしたいと思う人が大半だと思いますが、僕は適度に人がいることも重要だと思っています。人がたくさん集まっていたら、何をしているんだろう?と疑問に思って注意をひかれますし、人を避けるために別の道を通ったら素敵な作品を見つけたという場合もあります。人がいることによって生まれたノイズによって、新しい出会いがある。そういう小さな作用がコミケには紛れているのだと思います。*1
隣のサークルは100部売れた!と喜んでいても、僕は一人が買ってくれただけで同じくらい内心喜んでいました。ただ目の前にいる人が興味を持って手にとってくれただけで、嬉しい。その気持ちをいつまでも大切にしたいです。インターネットで作品を発表していたりすると、見てくれた人の表情が見れないので、そういう意識が希薄になっちゃうんですよね……。
残念だったこと
ただ、残念だったことが一つあって、他のブースを十分に見て回れなかったこと。僕が一番好きな、ゆったりブース巡りがあまりできなかったことが心残りです。自分が席を外すと、僕のブースは無人となってしまうので。
いくらSNSが発展しようと、コミケのような対面で交流できる場はなくならないだろうなぁと感じました。むしろそういう場が増えていきそうな気もしますね。
あけましておめでとうございます
読者のみなさん、昨年はお世話になりました。みなさんの役に立つブログを意識して記事を執筆したいと思います。今年もよろしくお願いいたします。
節目というのは、おもしろいですね。年末と年始だって、時間という枠ではひとつづきです。平坦なものに緩急を見出すと、気持ちが高まりますね!
今年は、僕にとって変化が多い年となりそうです。生活する拠点も変わりますし、所属するコミュニティも大きく変わります。
今年はどんな年になるでしょう?そう考えるとワクワクしますね。
- どんな人と会うでしょう?
- どんな経験をするでしょう?
- どんなことに興味が湧くでしょう?
- どんなことに気づくでしょう?
- どんな進展があるでしょう?
2016年さん、1年間どうぞよろしくお願いします!!!!
データが好き
データベースの勉強がてら、久しぶりにSQLiteを触りました。データベースを触るのは久しぶりで感覚を取り戻すのが難しいです。
最近いろんなデータが自分の周りに舞い込んできて、エクセルにまとめていました。データを眺めるのは好きな質で、データをシートに転記しながらニヤニヤしていました。最初のうちは……。エクセルはセルの使い方の自由度が高くて感覚的に使いやすいのですが、構造化された文書が徐々に欲しくなってきました。HTMLとかXML最高です。
最近ですと、Pythonからエクセルファイルを扱えるらしいですが、あまり興味が沸かなかったので、単純にデータベースを再学習しようと思いました。
昔から自動化がとても好きで、今もPhotoshopの自動化スクリプトの勉強を並行しています。
データが集まっていくのを眺めるのはとてもいいですね。自動的に収集されたデータを自動的にグラフ化したりできたらと思うと、よだれがでてきますね。
「夢をかなえるゾウ2」感想
『夢をかなえるゾウ2』を読みました。1と同様ガネーシャがおもしろかったです。
印象に残った言葉
「人の幸福を羨んではいけない。なぜならあなたは彼の密かな悲しみを知らないのだから」ーーダンデミス
となりの芝は青いと僕らは思いがちだけど、その芝は大変な苦労の末に手に入れられたものなら、それは本当にほしいですか。そういう問いをダンデミスの言葉から受け取りました。「なりたい」とか「やりたい」とか気軽に言いがちですが、本当になりたいもの、本当にやりたいことなのか、立ち止まって考え直すことが必要な気がします。
今回の教え
教えに共通することは、自分の中に閉じこもっていないで他人と触れ合いなさいということでしょうか。
- 図書館に行く
- 人の意見を聞いて直す
- 締切をつくる
- つらい状況を笑い話にして人に話す
- 優先順位の一位を決める
- やりたいことをやる
- 楽しみをあとに取っておく訓練をする
- プレゼントをする
- 他の人が気づいていない長所をホメる
- 店員を喜ばせる
- 自分が困っているときに、困っている人を助ける
- 欲しいものを口に出す
- 日常生活の中に楽しみを見つける
- つらいとき、自分と同じ境遇にいる人を想像する
さいごに
ガネーシャの教えというのは、個人で取り組むには難しい思います。この小説はフィクションですが、まがりなりにも主人公のすぐそばにガネーシャがいます。誰かがそばで見ているという状況は、だらけにくいので効果的に進めるのでしょう。
僕が実践するとしたら、細かな記録をつけたり、誰かと一緒に取り組むと思います。作中の言葉ではありますが、「人は楽しいことしかできない」ものです。その行動に楽しみを見出すことが、一番大事なことかなと思いました。
図書館めぐり(こども図書館)
国立国会図書館国際子ども図書館へ行ってきました。東京都美術館へ行く途中に「国際子ども図書館」の標識を見つけて訪ねてみました。
残念なことに、改装しているのか工事用の布が被さっていました。アーチ状の建物を目の前にしてみたかったのですが、残念です。 そういうときはGoogle ストリートビューか何かで心を満たします。
印象に残ったのは、「かがくのとも」という雑誌の「ねじ」という本でした。 なぜか最近ねじに関わることが多いので、思わず手にとってしまいました。 鉛筆のスケッチと文章が合わさった絵本でした。 ねじの特徴がスケッチ付きで紹介されていて、ボンドより強力、釘より取り外しやすいなどの性質が紹介されていました。
「ねじジャパン」や「ねじの誕生秘話」をつい最近聞いた僕は、妙に感慨深く感じてしまいました。「ねじ」の本を読んで喜ぶこどもはいるんでしょうか。
研究用の資料室には、児童文学の本がたくさん集められていました。開架式の図書館でしたが、ほとんどの資料が閉架でした。 閉架資料を手元に取り寄せるには、カウンターで問い合わせる必要がありました。 僕が行った時間には、取り寄せの締め切りを過ぎていて、取り寄せることはできませんでした。 とは言っても、もともと、ふらっと立ち寄っただけなので、取り寄せたい資料はありませんでしたが。
16:30ころ(閉館は17:00)、僕が訪れたときには数名しか閲覧者はいないようでした。 ノートに一生懸命メモをとっている方がいましたが、児童文学の研究などをやっていたのでしょう。
アンデルセン、イソップ、サン=テグジュペリなど僕でも名前くらいは知っている作品が開架されていました。 16:55ころまで、開架されている本をさらさらーと流し見していました。 その中で気になったのは、読み聞かせという分野です。
資料室では目立つ位置に「読み聞かせ」や「お話」、「ストーリーテリング」などの特集が組まれていました。 いくつか本を開いて「お話」というのは、大昔から存在するものだと知りました。 考えてみれば当たり前で、文字だけでなく、宗教や英雄譚、歴史、神話など至るところで「お話」として口伝されてきています。 楽器を手にさまざまな地域を回ったとされる吟唱詩人の功績も大きいことでしょう。
「読み聞かせ」は僕が中学生のころ、地元の図書館で盛んに行われていた気がします。十年くらい前のことです。 友人の母が積極的にボランティアとして、児童へ読み聞かせを行っていました。 最近読んだ図書館学の本によるとアメリカでは、児童が訓練された犬に対して、読み聞かせをするサービスが一部の図書館で行われているそうです。 犬を相手に子どもが読み聞かせをします。
犬への読み聞かせの背景には、養育者効果(The Protégé Effect)があるのでしょう。誰かにものを教えることは、一方的な提供ではなくて、養育者も被養育者も、一緒に成長する性質が知られています。 これが養育者効果です。
話を元に戻します。私は誰かに「お話」をするという経験がほとんどありません。 当然芸人のように自身の経験をおもしろおかしく(オチをつけて)物語として語ることが苦手です。 ですから、おもしろい話をするヒントを求めて手にとったのが、ストーリーテリングやお話の本だったわけです。 実際はあまり参考にはなりませんでした。
この話を書いていて、前に小説書きの友人から「物語というのは大昔からあるんだよ」と語られたことを思い出しました。 物語にすると記憶しやすいというのは、きっとエピソード記憶が関わっているのでしょう(詳しくないですが)。 最近ですと、マンガマーケティングという分野に活用されていると思います。
国際子ども図書館は、上野駅から歩いて10分程度のところに位置しています。 子育てをするなら、地方が絶対いいだろうと思っていましたが、このようなこども向けの施設があるのなら、東京でもいいなぁと思い直すきっかけになりました。
こども図書館は、国会図書館の系譜だけあって、透明なビニール袋に貴重品を入れるシステムは同じでした。 今回はたまたま上野駅に降り立ったときに標識を見つけたので、とても良い収穫でした。
図書館が好きなので、いつかは国内すべての図書館を訪れてみたいです。